文庫本が結ぶ点と点
9月1日。昨日になって届いた制服にギリギリ間に合って良かった、と呟きながら初めて袖を通す。姿見鏡で自分の姿を確認しておかしいところがないかを確認する。真新しい制服はまだ自分に馴染まずに、ちぐはぐとした印象を正直隠す事ができなかった。
始業式の間は職員室で簡単な自己紹介や教科書の受け取り、届出書を書いたりで朝からめまぐるしい忙しさで、終わった頃には体育館からそぞろ人が出てくるのを職員室の窓から静かに覗いていた。
教室まで案内され、転校生だと紹介され一番後ろの席を用意された私は簡単な自己紹介の後言われるまま出入り口から一番近い最後尾に用意された座席に着座した。始業式が終われば教室に喧騒が訪れる。帰ろうとする私を遮るように、誰しもが興味本位で根掘り葉掘り私について尋ねてくる。私には相手を知るカードは何もかも用意されない。なのに相手はお構いなしに尋ねてくるのが我慢ならなかった。わたしからすればせめて「名の名乗れ」と言いたいのであるがそこはなんというか、多勢に無勢。
厄介ごとは御免とばかりに、配られたプリントをカバンに直しながら「引越ししたてで今日は家もバタバタしているので」と断れば、喧騒から一転してあたりが静まり返った。
なんとなく沈んだ雰囲気がありありと伝わってくる。あまり細かいことについて取り分け気にする性格でもない私は最後に机に置いていた文庫本を手に持って「ではまた明日。良い午後を」と型どおりの挨拶をして教室を出て行った。
もうすぐ読み終わる坂口安吾のページを捲りながら廊下を歩いた。残り最後の数ページを静かに読み耽る。
「
さん、だっけ。さっき机に置いてた本、見せて」
後ろからさっきまで教室の隣に座っていたような男子生徒が普通に話しかけるものだから「これがどうかしたの?」と本を渡す。表題と作家名を確認してから直ぐに
「その家には人間と豚と犬と鶏とあひるが住んでいたが、まったく、住む建物も各々の食物も殆ど変っていやしない…。……坂口安吾が好きなの?」
と最初の一文を暗唱してから何やら尋ねてくるからぽかんとした表情をしてしまった。目の前の男子生徒がお世辞にも文学青年という姿でなかったからこその驚愕でそれを隠すように「坂口安吾はやっぱり嫌いだったわ」と言えば「なのに読むって変なヤツ」と笑ったから私も負けまいと「見た目に反比例するような文学青年なのね。そういうの、流行らないわよ」と言っておいた。
すると
「国語で習ったから覚えてるだけ。作品の出だしはテストに出てきたから覚えてるけど、作品の内容までは知らない」
とさらりとその男子生徒が言うものから思わず笑ってしまった。
「あら、それだけ博識をひけらかした割に面白い事言うのね。このタイトル通りの人?」
と読み終わった本を前に出して問いかければ「ないない」とゲラゲラ笑いながら「ソレはない」と全否定する。
「
さんって、第一印象とかなりかけ離れてるね」と言われたので「まれに言われるわ」と言えばまた人を指差して笑い始めた。というか私の第一印象ってどんなの?と聞きたくなるのだが、そのうち誰かが教えてくれるだろうと、私は考えるのを直ぐにやめた。
「あ、俺は水戸洋平。よろしく」
私の本を読みたくなったから貸してくれないかなと言うついでに水戸くんは自己紹介をした。私も「今読み終わったからどうぞ」と彼に本を差し出してついでに自己紹介を行った。
「これから暇だったら体育館行かない? 面白いものが見れるぜ」
この面白い人が言う面白いものってなんだろうと、興味本位も手伝って私は「そうね。少しだけなら」と返事をした。
「じゃあ、決定」
彼に言われるまま私はその後ろを歩き体育館へ付いて行った。
「お疲れ」
「お、遅かったじゃねえか。花道はとっくに部活に来てるのに…その子誰だ?」
「あ、もしかして噂の帰国子女?」
どんな噂が流れてんのよ。私は印象なんかよりも先行する噂に恐怖を覚えた。
それはさておき、金髪、サングラス、ヒゲの特徴を持つ人たちがそれぞれに水戸君に話しかけている。水戸君はさっさと私にそれぞれ大楠、高宮、野間と指差しながら紹介をしていく。至極あっさりしたもので、私もあっさりと「
」と名乗った。特にこのメンバーが私が来る事を拒む事なく、かといって騒がしくする事もなくすんなりと迎え入れてくれて私もまた静かに4人が送る視線の方向をじっとみやればバスケットボール部らしき生徒たちが体育館に集まっているのだ。
「面白いものってこれ?」
何が面白いのかまったく理解出来ない私はうんざりとした表情を隠す事なく、寧ろ不機嫌な表情すら湛えながら言えば「まあ見てなって」と皆が口を揃えて言うのだ。どんどんギャラリーが増えてきて部活という雰囲気でもなくなってきた。何かイベントでもあるのだろうか、とぼんやりと眺めていると赤い坊主頭がこちらを振り向いた。ああ、クラスで見たような頭髪の、と思ったら4人が笑いながら手を振っていた。
「ホラ、
さんも手を振って」
笑顔を作る事無くぞんざいに手を振って見れば4人がそんなにおかしかったのか私を指差して笑い始めたのだ。
「ほら、バスケ部の連中が揃ってこっち見てるぜ」
それほど珍しいものか、と私が尋ねれば水戸くんが「大人しそうな帰国子女が花道に無愛想に手を振ってるのは珍しいっていうか異質な光景だと思うよ」と笑うのだった。
そんなものか、と私は説明に納得してその場はすぐに終了した。
「で、これ何かのイベント?」
ギャラリーの多さから何なのかを尋ねると「ただの部活動だ」と説明される。
部活動のギャラリーとしてこれだけの人数が集まるものなのかと正直驚きを隠せなかった。ひときわ目立つ二つの集団を見つけて私は彼らに質問を重ねる。
「あのまとまってないチアは?」と尋ねれば「ルカワ親衛隊」だと答えられ、「あっちの応援団は?」と尋ねれば「ミッチー応援団」と返答が来る。
「で、俺たちが桜木軍団で花道の応援をするメンバー」
「なるほど、応援団要員の人集めで呼んだワケね」
私が納得して尋ねれば「応援じゃなくて花道がバカやってるから笑いに来てるだけだ」と間宮くんが言い切ったので「あら、随分と友達思いなのね」と返答したら、「そうそうそう」と4人が突然に笑い始めた。
「その調子でいっちょう花道の“応援”よろしくな」と肩をバシバシ叩かれて言われたのだった。
帰るタイミングも逃して私は黙って部活の様子、よりもカルト宗教も裸足で逃げ出しそうなルカワ親衛隊とミッチー応援団の様子が気になって仕方ない。練習風景そっちのけであの2大派閥をぼんやりと眺めていた。
休憩時間になって桜木花道が私たちのところへやってきて、「うぬ、転校生…」と呟くので「よろしく。クラスメイトよ」と言えば固い表情のままで「ウヌ…ヨロシク」と返してきた。きっと話したこともない私とどう接していいのか分からないのだろう。
私だってこの桜木花道とやらと何を話すればいいのか分かる筈もなく、適当に「凄いのね」とお茶を濁したような事を言ってみれば、真に受けたのか「天才桜木ですから」と急に大きな態度で高笑いを始めた。それを女子マネージャーらしき人がハリセンを持って叩いて制御するのだ。そうすればもう一人の女子マネージャーがフォローに入って、桜木くんはそれはもう嬉しそうにしているのだ。
「赤頭だけど、青い春と書くヤツをしちゃってるのねえ?」
ああ、この桜木軍団が彼を見にくる気持ちは分からなくもないわ、と思いながら4人の顔を見れば、私の言いたい事はどこか通じたようで、4人は悪童な顔でにんまりと笑った。私も負けないように悪童のような笑顔をつくってにんまり笑ってやった。