One and Only 1

2008/10/18

長編

家夏休み後半戦

「次の赴任先はサウジになったけど、今回は日本に残りなさい」
アメリカでの1年半の海外赴任から帰ってきた私たちを襲ったのはパパの次なる海外赴任の話だった。帰国後僅か1週間後の残暑厳しい8月のお盆時、暑さのあまりそうめんをゆがいている最中に私はそれを教えられた。
オーストラリアの時だってタイの時だってアメリカの時だって、パパの赴任の際にはいつも「学校に慣れてきた所すまないけど、転勤が決まったんだ」と申し訳なさそうに同行する事を言われ続けていた私は目を丸くしてパパの顔をじっと見た。

「中東?」
私が尋ねればパパは黙って頷いた。
「また急に決まったんだね」
パパの会社では1年半〜3年程度の海外赴任があった後、数年は国内勤務に戻る筈なのに、と首を傾げてそうめんをカウンターに置けばパパは「そうだね」と言いながらテーブルに運んでいた。
「今回は申し訳ないけど、 は日本に残りなさい」
海外勤務が急に決まったパパの言葉には私を連れて行く選択肢は無かったようで、おっとりとしたいつものパパらしくないまでの、ぴしゃりとした口調で断言するものだから私は黙って頷くしか術は無かった。夕食時、パパは苦い顔をして黙って食事を口に運んでいた。
私も何も言う事なく黙ってそうめんを流し込んだ。

食後のデザートは私が朝にぽつりと言った「葛ようかんが食べたい」と言った冗談を汲んで買ってきてくれたもので、切り分ける時にはパパが口を開き始めた。
「サウジには を連れて行けば不便な生活を強いる事になるからイヤなんだ」
聞けば、外国人居住区に押し込められ、年中歌舞伎の黒子のような格好をしないとならなくて、私一人では外に出られない。サウジは厳格なイスラム国家である、ととくとくと説明してくれて納得が行った。
「本当言うとね、辞令を蹴りたかったけど、蹴ったの知ったら怒るよね」
「怒るわね」
パパの問いかけに私は即答して笑った。
ドバイだったらアラビア色も薄いから私だって暮らしやすいのにね、と笑えばパパは苦笑いを浮かべていた。
「最短1年半、最長3年でしょう。丁度一人暮らししたかったところなのよね」と言えばパパは困ったように笑って頷いていた。

は僕に似ず、自立心旺盛ですぐに親離れしちゃって、本当に頼もしくてさびしい限りだよ」
分譲マンションは二人で住むのにも広くて丁度良い。分譲貸ししちゃってで小さな部屋を借りればいいのにと言えば、猛反対を受けた。曰く「もう分譲貸しはこりごりだ!」が帰国後自宅に戻った父親の第一声である。
短期の分譲貸しの契約が終わった際、新築未入居の自宅は生活傷が出来ていて帰国するなり「折角の新築マンションが…」ものすごくヘコんでいたのを思い出して私は苦笑いを浮かべた。
「で、いつから赴任?」
私の質問にパパは「実は明日朝の便で」と言うものだから驚いたのはこちらの方だった。

「あ、何かあったら藤真さんちに行けばいいからね」
朝、トーストを齧りながらせわしなくパパが説明する。夜中にカサカサ電話したりキーボードを叩いたりしていたのは私のためのものだと分かると胸が熱くなる。
「ちょ、ちょっと私が一人暮らしってそんなに信用ないの?」
照れ隠しで憎まれ口を叩けばパパは笑って「親が子供の心配をして何が悪いの?」と平然と告げて慌しく出発の準備をする。
「ごめんね。本来ならパパがきちんと君のの転入手続を完了させるべきなのに」
それでも教育委員会に連絡してくれて編入できそうな学校を探してくれて試験の手配までしてくれれば十分なもので私は笑って頭を振った。

「じゃ、行って来ますー」
慌てて出て行ったパパを見送った後私は深い溜息をついた。
「広すぎる家で私一人暮らし…かあ…」
呟いた言葉はただっ広い部屋に拡散して行った。