雲雀恭弥

2009/03/19

中編

正しい街(前)

どうして未だに君の横には誰一人居ないのかな。
なんて大逸れた事を夢見てしまったんだろう。
あんな傲慢な類の愛を押し付けたり。
(椎名林檎/無罪モラトリアム「正しい街」より抜粋)

「私の人生は私が決めるものだから」
だから一緒にイタリアには行けない、とがトンファーを構える僕を目の前にして堂々と言った。彼女は構えて戦う事などしなかった。彼女は武道のたしなみもなければ決して強くもない、たったひとつの武器はあの嫌なまで自分に真っ直ぐである事だけだった。
「どうして僕と一緒に行けないの?」
「夢があるから」
のその姿は何よりも神々しくあり、何よりも醜かった。僕は彼女の答えが気に入るわけもなく、トンファーを構えて一歩前に出る。まるで草食動物を狩る肉食動物のように、僕が笑みを彼女に向けても彼女は昨日までのような笑顔を出してはくれなかった。僕は期待はずれでの下腹部を狙って踏み出した。彼女は逃げることもわめく事もしなかった。
覚悟を決めたように目をきつく瞑り僕の一撃をまともに受けてアスファルトに伏せてしまった。
君は僕のすべてだった。なのに君は簡単に僕を蔑ろにするの。それを僕は許す術は持ち合わせなかった。

何も変わる事はない、君はもう二度と僕の前に姿を現す事がない、そして僕もまた同じという事だ。
そう思っていたのに、君はそうじゃなかった。僕もまた同じと言う事だった。

8年振りに足を踏み入れた日本の冬はイタリアよりずっと寒かった。この季節を毎年過ごしていたのかと思えば、もう無理だと思う。8年という月日はとても短いようで長いものだった。寒さだけでない。この平和の象徴のようなこの街に僕はもう馴染まないと空気が全てを拒否しているような強く冷たい風を浴びコートを羽織った。
今回の来日目的はジャパニーズマフィアをひとつ潰す事。グループの統括者には「この件は雲雀さんに一任するよ」と依頼されている。僕に頼むという事は壊滅させる事も選択肢に入れても良い事と判断しての事で、配下に入れるよりは面倒が少ないだろう、メリットがあるのならきっと他が動くだろうし、と僕は思うがままに潰し続けていた。今回もまた同じ事の繰り返しで、そこには例外など存在しない。

国際空港からタクシーを拾い並盛に着いた頃はもう昼の1時を回っていた。
ここも市町村合併と言うものがあったようで、周辺の町を飲み込んで並盛市となっていた。
変わる街並み、変わらない町並みがあって僕は懐かしさを覚えた。駅前には大きなショッピングモールが出来ているし、人の往来も多くなっている。中核市くらいの大きさになっている事が8年という月日の長さを物語っていた。
食欲もないが、「三食きちんと」というまるで悪ふざけのようなスローガンがファミリーには存在している。「ばかばかしい」と思いながらも、三食きちんと摂取することを普段から心がけている僕は規則以前の問題であり、多少面倒でもきちんと毎食欠かす事なくエネルギーを摂取している。
目についたのは焼きたてのパンとパスタ類とコーヒーを出す店で軽く食事をするのに向いていると早速店に入った。店内はお昼から少しはずれた時間のためか人もまばらで注文カウンター横の商品もサンドウィッチが数個並んでいるだけとなっていた。
(これでいいか)
とサンドウィッチを手に取って注文レジで大きめのコーヒーを注文し、それを奥の席へ黙って運んだ。

座ってコーヒーを持つと視界の中にひとつの姿が飛び込んでくる。見ただけでは誰だか分からないくらいに大人になっているというのに、雰囲気からにじみ出る本質のようなものは中学最後の別れの時と何ら変わらずにいて、すぐに彼女だと判断できる事に僕は瞠目した。
……」
思わず出た言葉を飲み込もうとしても既に遅かった。呼ばれた姿がこちらのほうへゆるりと視線をうつしたのだ。
数秒の時間が流れてから、彼女は僕に向かってゆっくりと「あ、雲雀恭弥」と、たったそれだけ伝えると、持ちこんでいるのか備え付けられているのか、ノートパソコンへ視線を移して黙々と画面を食い入るように見つめ始めた。食い入るように見つめる対象が本からパソコンに変わっただけで彼女は何も変わりがなかった。なのに僕は何ら変わらないに対して安堵感と嫌忌感が同時に襲ってきた。

「何してるの?」
僕はの隣のテーブルへ移動して目をあわさずに話しかけた。
「そういうあなたは、何をしているの?」
相変わらずの態度に僕は少しだけ安堵を深くした。それからしばらくお互いに何も言う事も話すこともなかった。時間だけが無駄に流れて行くのに、何ら行動を起こさずこの場所にただ座っているだけの。それを観察するようにたまに目をやる僕だけが夕方過ぎまでその店にあった。
無駄に流れる時間分の沈黙で8年という月日が酷く長いものだったのだと僕は改めて思い知った。変わらぬものもあったが変わり果てたものはそれ以上に多く感じられた。その中で、彼女の中で僕という存在は消えてなくなったものだと思ったのだが、案外そうでもなかったようで安堵を覚えた。しかし、それでも月日は経ちすぎていた。