ぎゅってしていい?
「花形君」
「何?」
「私、花形君を見ると抱きしめたくなるみたい」
「…さん?」
「何?」
花形は顔を真っ赤にさせながら口をパクパクさせていた。
「ドライに見えて、シャイな所を見てると、こうぎゅっとしたくなるの。してもいい?」
「え…」
花形君が何か言おうとする迄私はこうして彼を抱きしめる。正しくは抱きついてるに等しいものだけど。
「さん!」
花形君は私に触れることなく、右の手で口を抑え左の手はお手上げの状態で固まっている。
「本当はね。私の方が花形君のぬくもりが欲しいと思ってるのかも知れないね」
だって花形君は抱きしめてくれないんだもん、と呟いて笑うと視界で花形君が滲んで見えた。
の言葉に花形は「…さん」と思わずフルネームで呼ぶ。
「苗字なんて捨てるものだから要らないよ。名前を呼んで、ね?」
バスケバスケって、そればっかり
「ゴメン。試合なんだ」
「そっか仕方ないね」
ねえ、私うまく笑えてる?
あなたの何にも変えがたいものと私、どっちが大事なの?
そんなバカげた事を言う女にはなりたくないの。
だって、明らかにあなたはバスケのほうが大事で、私はそんな真剣なあなたが好きなんだから。
寂しい女(ひと)にはなりたくないの。
「だから、さん。見に来てはくれないかな?」
いつも来ないんだからたまには来てくれると嬉しいな、なんて可愛いこといってくれるからつい嬉しくなって口が綻んだ。それでもそれを隠すようにじっと彼の顔を見た。
「いいよ。行く」
眼鏡の向こうにある目じりが下がった。
「んもう。本当にバスケバカなんだから」
バスケばっかりでも、バスケばっかりな、そんな一途なあなただからこそ
私は恋をした。
気付いて、独りにしないで
「今日も練習なんだね。頑張ってね」
聞き分けの良い彼女として、私は今日も笑顔で花形君を見送った。
「うん。気をつけて帰れよ」
いつもくしゃりと頭を撫でてくれる花形君はいつだって私に優しい。
見えなくなるまで手を振って見送って、彼が曲がって姿が見えなくなると私は溜息を吐く。
本当は寂しいだなんて口が裂けても言えない。
俺様な性格の藤真くんのような人が相手だったら少々ワガママを言ってみても、きっと困らせる前に一刀両断にしてくれるだろうから、ワガママを言っても良いかなと思えるんだろうけど、相手は私が好きな花形くんで、真面目な彼はきっと私のワガママひとつにものすごく悩みきってしまうだろう、と。
だから言えるわけがない。
だから気づいて貰えない。
満たされている癖に、それすらも寂しいって事に気づいて貰える事もない。
でも、本当は気づいて欲しいの。
そして褒めて欲しいの。ただそれだけの事なの。
だけど、それは言わない私が悪い。 伝えようとしない私が全部悪い事なの。
独りぼっちの夜
「パパは出張、ママは旅行。残るのは学業優先の一人娘、か」
初日はとても楽しかった。日頃出来ないような事をこれでもかってくらい堪能した。
三日間の生活費として1万円という大金を残して行ってくれた。だから大好きなケーキを買って帰って、おいしい紅茶を入れて、ご飯そっちのけでお菓子を食べて夜中までテレビを見て、平日なのに夜更かしをして翌日は寝ぼけまなこで学校へ向かう。
「眠たそうだね。どうかした?」
心配そうに私を覗き込んで花形君が尋ねて来た。
「パパとママが明日の夜まで居ないからつい夜更かししちゃって」
いつも夜更かしは美容の敵、と言っている私らしくない行動に彼は目を丸くして、
「さんは、自由気ままだったんだね」
なんて好意とも嫌悪とも取れる反応を示した。
私はそんな言葉にお構いなしに
「だって、滅多に無い事だから、楽しいんだもん」
と笑って答えた。
二日目の夜。花形君の言葉が気になってはやいうちに眠ろうとベッドについた。
だけど眠れなくて、本を読んだりゴロゴロしたり、気づけばすでに10時になっている。
昨日あれだけはしゃいだ理由の本当の意味を自分では理解していた。
それは寂しさからくる反動そのもので。
パパもママも居なくて寂しい気持ちを楽しさで誤魔化しただけのものだ、と。
それでも昨日のように振舞うつもりはなく、欠伸をしながらも眠れずに時計の音にあわせて脳を活動させていた。
携帯のメール着信音が鳴った。私は慌てて確認する。
『本当はすぐに飛んで行って隣に居たいけど出来そうにもない。昨日の疲れもあるだろうからゆっくり休んで。明日は朝練ないから迎えに行くよ』
花形君のメールはとてもずるい。だって一人ぼっちで寂しいと思ってる所に付け入るようにするりと心の中に入ってくる。
『うん。7時50分には登校するから、その時間にね。じゃ、おやすみなさい』
メールを返信して目を閉じる。さっきまで一人ぼっちで眠気が来なかったのに、現金な事に私はすぐに心地よいと唆して来る睡魔にあっさり服従する。
今日は独りぼっちだけど、一人ぼっちじゃない。
やっぱり君の隣が好き
「私ね。やっぱり花形くんの隣が好きだな」
「え…っと」
「だって背が高いから寒い時には風除けにもなるし、暑いときは影が出来るから避難できるし。やっぱり隣っていいなって思うの」
「さん…」
呆れてものも言えない、と言う花形君に私は笑顔だけで答える。
「嘘だよ」
私は笑って黙り込む花形君と、沈黙に耐えきれなくて切り出した。
「だって、あなたが隣に居るだけでたまらなく幸せに感じるだなんて思ってても言えないじゃない」
そう言えば決まって花形君は顔を真っ赤にしてそっぽを向くから、言いたくなかった。
真っ赤にする彼は好きだけど、そっぽを向くのは嫌い。
ほら、今だって。
「ほらね。そっぽ向いた。だから言いたくないの。こっち向いて」
「いや…その」
「何よー」
「嬉しくてどんな顔をして合わせればと思って」
「そのままでいいのに。だって私、そのままの花形君が好きなんだよ?」
「あっさりと言ってくれるね…でも、俺もそんなさんが好きです…」
はにかむ笑顔でこっちを見る花形君はまさに不意打ちで私がさっきまで非難していた事を思わずしてしまう。
「あ、自分だけずるいな」
両頬を包み込まれて無理に花形君の視線に合わせられる。私は少し上に、彼は私に目線を合わせるように少しだけしゃがみこむ様に。
「これからもよろしく」
「私も、これからもよろしくね」
お互い顔が真っ赤にして、私たち間の抜けた言葉を交わす。