ふみこめない
はよく話をしてくれるが、核心に触れる話はいつだってしない。いつも俺の母親からいつもの事を聞かされるから俺はいつも彼女に手を差し伸べる事も出来ないでいる。
今回もそうだった。
「ちゃんちのお父さんとお母さん、離婚するんだって」
珍しく母親と一緒に夕食を食べていた。その時母親が聞いて欲しいと切り出した上で話だした。学校ではいつもと変わらない態度で居て些細なSOSひとつ出す事も無かった。
特にどちらに非があるというわけではないらしい。
「今日ちゃん、学校でどんな感じだった?」
小さいころから知るからこそ気になって仕方ないのだろう。学校でも然して変わりはなかった。きちんと始業10分前にやってきて1限目から授業を受けて予習復習も欠かしてはいなかった。
「は何も変わりなかったよ」
そう俺が伝えれると母親はほっとした表情を浮かべていた。
「、昼休み食堂に行くか?」
「うん。ちょうどお弁当忘れたし、いこっか」
昼食に誘えばすんなり付いてきた。離婚騒動に巻き込まれているからお弁当まで手が廻らないだろうと思った俺の読みは間違いではなかった。
は簡単にサンドウィッチと食堂の裏メニューであるボトル缶のブラックコーヒーを注文する。俺は定食を頼んで食堂の一番奥の席に座った。
「いただきまーす」
はいつもと変わりないペースで食べているし、食欲不振なところも見あたらない。
「でさ、どしたの。食堂でしか出来ない話?」
どうやって話を切り出そうか考えていた俺を止めるように彼女から話を切り出してくる。
「いや…その…どうして分かったんだ」
「十数年来の付き合いだからなんとなく分かるわよ」
はケラケラ笑いながらサンドウィッチを齧ってコーヒー缶を手に取っていた。
「いや…おじさんとおばさんが離婚するって聞いて…」
さすがに言い出すのにどういえばいいのか分からずもごもごとしていると、ハッキリして、とぴしゃりと笑いながら言うに驚いて思わずストレートな言葉を放ってしまった。
さすがに気まずくなって「言いたくないなら言わなくてもいいから」とごまかしながらもの様子を伺った。
「うん。離婚だって。まあ、結婚もあれば離婚もあるし。たまたまウチがそうなったってだけの話だしね」
困った父母だとは目には少しの侮蔑の光も含ませながら力なく笑っていた。
「はどうするつもりなんだ? まさか転校とか無いよな?」
「あー、高校入試やったのにまた編入試験ってのもイヤよねぇー」
サンドウィッチのパックを閉じてその上に空になったボトル缶を置いて彼女は考えるように呟いた。俺は彼女の言葉に同調するように声を押し出しながら笑った。
「転校とか編入試験とか面倒だから私はお父さんと残ることにしたよ」
合理的な考えでしょう、といわんばかりの模範解答に俺は瞠目する。
あいつが俺と十数年来の付き合いだからなんとなく分かると言った通り、俺もまたあいつの考えている事や考え方がなんとなくわかってしまう。なんとなく、なのだが、これだけははっきりいえる。
――の本音はそこにはない。
「原因は何だったんだ?」
気がつけば俺はに問うような言葉を投げかけていた。
「え? ごめんなさい。よく聞こえなかった。何?」
その笑顔は全てを受け入れるように見えて全てを拒絶する笑顔だった。これ以上は踏み込むなと暗に警告をは発している。これ以上彼女の奥に踏み込むのをためらった。これについても確信が持てた。
――は間違いなく両親の離婚に傷ついている。
は自分の心の奥底にしまってただ時間がすぎるのをじっと待つだろう。誰に訴える事なく、誰を責めるわけもなく、ただ心の奥底に何かを持ったままでいるのだろう。そういえばいつだってこいつはそうだった。だからこそ気がかりで胸に痞(つか)えるのだ。
「いや、放課後時間あるならマックにでも行くか?」
「奢りなら」
「仕方ねえなあ。最近実入りがいいからソレくらいならな」
食べ終わった食器を返却口まで持っていこうと立ち上がる俺の横を同じようにも自分の食べたものを棄てるために立ち上がる。食堂から出て行く時には「実入りがいいならマックといわずモスとかさあ、他のものを奢ってよ」との減らず口と笑顔はいつもと変わらないものへと戻っていた。
踏み込んでいいものかと悩む俺には無意識にSOSを発している。学ランの裾を彼女の手が皺ができそうなくらいの握力で握っている。
「明日になれば食われるかも知れないからそれは無理だ。午後から昼寝に行って来る」と彼女の頭をポンと叩く。は声を上げて「不良はイヤだわあ。私は至って普通の学生だから戻るわね」と軽口を含ませながら笑って廊下で俺に背を向けた。
背中はいつもよりも小さく頼りないものに見えて、俺は手を伸ばそうとしたが、全身で拒絶を示す彼女になす術もなくその場に立ち尽くした。
また、彼女に手を差し伸べる事が出来なかった、と心の奥底で一人また溜息をついたのだった。