牧紳一

2008/09/10

幼なじみに贈る5つのお題

切ない距離

昼休みは食事と自主練習と言うのが三年間通し続けている自身の約束ごとでこの日も例に漏れる事なく、熱の篭る体育館で黙々と自主練習に励んでいた。風通しを良くするため、一番近い出入り口を開け放っており、時折流れる風だけが体育館内部を冷やしていた。今日は体育館の舞台に一番近い出入口を開放して自主練習に励んでいた。その出入り口からは見た目にも涼しい木陰が出来ているのが良く見えるため、この場所で自主練習をしている日に限っては、見た目だけでも涼を味わおうと大抵その扉の向こうの景色を眺める事が多かった。その習慣がたまたま仇となってしまった。

――あれは間違いなく“告白”であろう。
紳一は経験則からひとつの答えを導き出した。ロケーションとしては最適なのか、大抵の場合は呼び出すのなら人気(ひとけ)のない場所が選ばれている。自分自身、人気(ひとけ)のない場所に呼ばれ告白をされたことが幾度とあった。呼び出したのは恐らく男子生徒だろう、と彼は推測した。 基本的にひっそりと自分の感情を押し殺す性格を持つ幼馴染であり、長い付き合いのある彼女がまず告白をするのに呼び出すという真似をすると彼は思えなかった。やがて、話が終わったのか男子生徒が教室へ戻るのだろう、踵を返した。その後幼馴染は空を仰ぐように上を向いて教室へ戻っていく。その姿を体育館から時間が過ぎるのも忘れるように紳一はただぼんやりと眺めるしかなかった。
――彼女は、あの幼馴染はなんと返事したのだろうか。
紳一の心臓の音だけが不思議と異様に大きく体内で響き渡り、予鈴の音とシンクロして慌てて体育館の扉を閉めたのだった。

昼休みも終わりかけになる時間になって偶然見てしまった木漏れ日の下で幼馴染と知らない男子生徒が一緒に居る光景は、午後の授業の間紳一の頭から離れる事がなかった。
決して彼と一緒に居る時のように喜怒哀楽をはっきりと男子生徒に示したわけでもないのに安心したと共に、いつか彼女は当たり前のように自分の近くに居たのに、やがて遠ざかって行くのではないだろうか、という一抹の不安を感じ取った。少なくとも幼馴染という気安さの中に恋愛感情も含んでいたという事に気づき、そして自分のもとから去っていくかも知れないという可能性を導き出し、彼自身改めて思った感情に驚いたのだった。

帰りのホームルームが終わり、紳一は隣のクラスに居る幼馴染がまだ教室に残っている事を願いながら急ぎ足で隣の教室へ足を運んだ。階段を挟んだ向こうにある教室では丁度今しがたホームルームが終わっただった。沈黙を破るような喧騒に包まれた教室内に繋がる窓から、紳一は「」と幼馴染の名を呼びかけた。「」と呼ばれた高校三年生にしては小柄な少女とも言えるような外見を持つ人物が、自分の名を呼ばれた事に気が付いてすぐに声の方向へ振り返った。高校三年生にしては大柄な青年とも言える幼馴染の姿を確認して軽く手を振って呼ぶ声に応えた。

「珍しいね。部活の鬼の紳ちゃんが放課後に」
一番奥の席から机の上に置いているものをすべて放棄しては紳一が居る廊下までひょっこりとやってきて「どうしたの?」と問いかけた。まあまあ、入ってよ、と彼女は教室をさも自室のように案内して自分の座席の前の椅子に紳一を座らせた。
彼は何をどうやって切り出して話を聞きだそうかと思案を巡らせながら促されるように着席すると、彼女はそれを確認したら、丁寧に机の中にある教科書やノートを机の上に置きひとつひとつ確認しながらカバンに詰め込んだり、机にしまったりと細かく動いていた。
彼女自身、あまり人に話をする事を強制することもなければ自分から用が無ければ聞き役に徹する性格なのか(それとも不精なのか)、じっと紳一の様子を見張っていた。
彼もまた彼女の性格を把握しているのか、ひとしきり思案した後に「なあ、」と呼びかけてここにやってきた理由を話し出した。
「今日昼休みにお前の姿を見たんだが、何があったのか?」
彼女は質問をじっくり反芻して、しっかりとした口調で返事をする。
「やだ、見てたの。何もなかったよ。居たのなら声をかけてくれてもよかったのに」
まるでパパみたいな事言うのね、と彼女は言って声を出さずに笑っていた。少なくとも昼休みの出来事は彼女からしてみれば、隠し事でもなかったようで静かに笑っている彼女の表情はいつもと変わらないものであり、その光景に彼は安心して胸を撫で下ろした。

――もし俺がに今日の相手と同じように告げたら彼女は今までどおりに笑いかけてくれるのだろうか。冗談を言ってくれるのだろうか。全面的な信頼を寄せ続けてくれるのだろうか。

紳一は彼女との距離、幼馴染としての関係を前提とすれば近く、自分の望む関係を前提とすれば遠い距離を詰めようと「」とその名を呼んだ。「なに?」と掛け値なしで微笑んでくれる姿は幼馴染に見せる気安さからのもので、彼女が恋愛関係を望んでなかったとするのなら、今後このように微笑んでもくれないのかも知れない、と失う事に彼は今更ながらにとつもない恐ろしさを感じ、彼女に何を伝えるわけでもなく「そろそろ部活の時間だからまた明日な」と誤魔化しながら、ただ昼休みに彼女が男子生徒に見せたような曖昧な笑顔を彼もまた浮かべたのだった。