いばら道
「ダメ!止めて!」
きっとそれは応援にも似た音で言ったのかも知れない。私が望んだ事を叶えるように男を噛み千切る彼に私はなす術は無かった。
いや、もしかすると私は心の奥底でそれを望んだのかも知れない。私は彼を止める事はできなかった。それは止める気も無かった、と言われれば否定も出来ない事象でもあった。
畜生道に身を落とす彼を止める事に失敗し、確かに私は見送ったのだ。罪悪感が私の背中を覆う。本来落ちるのは私だと言うのにあの男が身代わりとなり畜生道へと堕ちてしまった。
これは私への罪と罰だと理解した。
それからの私は何をするわけもなく、何かしたいわけもなくただ毎日を何もせず寝床でぼんやりと全てを見送った。
私にはもう何かをする気力もなかったのだ。
何をしたところで拭いきれない罪悪に私は潰されそうになるのだ。
あの男を殺めてしまいたい、と私は呟いた。
その場に居た彼が願いを聞き届けてくれて仕舞う事となってしまった。
私はなんと愚かな事を言ってしまったのだろう。そしてその愚かな願いで人の道から人をひとり、まさに六道の外に放り投げてしまったのだ。
六道骸と名乗り上げた彼は中庭を管理する青年で、中庭で隠れて遊ぶ私の秘密の友人だった。彼は私の知らぬ世界の住人であり、私の好奇心満たす全てであり、たった一人の何でも打ち明ける事の出来る駆け込み寺のような、私にとっては世界の全てだった。
否、そう言っても差し支えない存在だったのだ。
あの男を殺めてしまいたい。
私は意図的に、庭師の男を目の前にしてこの言葉を呟いたのだ。
「あの男というのは誰なんですか」
庭師は忠実な家臣であるかのような振る舞いを私の前でやってのけた。
私はその言葉の上にあぐらをかいだ。罪の意識など持ち合わせることもなく、ただ漠然と浅ましいまでの人の死を願いながら言霊を紡いだのだ。
「殺めたいのは婚礼の相手」と。
「そうですか」
庭師の男はぽつりと一言返事をして、悲しそうに笑っていた。私もその笑顔にあわせて歪な笑顔を作り上げた。その交わした笑顔が最後に見た彼の姿。「そうですか」という相槌ひとつが私が聞いた彼の最後の言葉。次の日から庭師は違う者になっていた。あの庭師の男はどこかへ消えたそうだ。
言霊を紡いでから激しく後悔をしたところで後の祭りだった。手前勝手な事で一人分の生命を奪い取り、一人分の人生を狂わせたのだ。わが身を地獄に差し出してもまだ余りある罪悪。それでもわが身を差し出して、外道に落ちる他に申し訳が立たない様な気持ちに駆られ、とある子の刻、私は衝動的に屋敷を飛び出した。全ては三途の川への入水願いとばかり。
私はもとより光は失った。最期まで失いたくない感情を持って、川へ私は沈んで行った。
輪廻に乗るなら畜生で良い。もし輪廻に乗れたのならどんな形でも貴方に逢いたい。人の道に外してしまった庭師に会って、償いをしなければならない。
川の色は漆黒の闇を持っていた。
そして夢を見た。たまに見る夢は重たくて頭を振った。気晴らしに公園へ散歩に出た私は似た年齢であろう少年を見つけた。
初めて見るのにどこか懐かしい気持ちにさせる空気を彼は持っていた。そして直感で感じた。彼は嘆きに似ている。私はそんな彼を見て心が沈みながらもどこか晴れ渡る。
ハンドタオルに水を含ませて話しかける。「どうしたんですか?」と。その声に反応するかのよう此方に向けられた両の目を見て瞬間に理解した。彼こそが私の罪と罰を断罪する唯一の存在なのだと。
私は今の生について、この少年に全てを委ねる事が唯一出来る償いであると。