沖田総悟

2009/03/14

短編(彼岸)

タイヨウノハナ

「大丈夫ですか」
向日葵畑で人を斬る為の剣術を、一人でも多く人を薙ぎ倒せるための剣術を模索するために必死に真剣を振るっていた。いつしか、周りが黄色と緑に覆われて土に還るようにその場に倒れこんだ俺を呼び戻すようなしっかりとした声に目を覚ました。

一面の向日葵に囲まれた一人の女が俺の顔を不躾にまじまじと覗きこんでいた。目があった俺を見て女の目が細くなった。
「良かった。起きましたか」
起き上がろうとする俺の手を引くように日傘から手を離した彼女が手を差し伸べてくる。
一瞬その手を取ったけどすぐに手を離してしまう。
この魂に触れる事自体がすべての罪のような気がしてならなかった。
起き上がった俺を確認して置いた日傘を射して彼女はずっと笑っていた。
息をするほども忘れて、その眩しすぎる美しさにほんの一瞬目を奪われた。
暗い世界に居る自分が今この場所で突然彼女と比較されているような錯覚に覆われたのはその笑顔が嗚呼余りに眩しすぎた。

「こんなところでどうしたんですか」
女が質問を投げかけてくる。
「そういうアンタこそこんなところで何してるんですかィ?」
その言葉に女が笑って答える。
「この花が育っているか見に来たんです」
それはこの花畑の所有者であるという事を暗に言っているように思えた。
「俺はこの花を人間に見立てて刀を振るってたんですぜィ」
その言葉に怯える雰囲気も微塵も感じさせずに「花と人は違いますよ」と向日葵を見上げて困ったような口調で言った。

「ところで、アンタ名前は何て言うんですかィ?」
「あなたの居る世界では、先に名前を尋ねるのですか?」
眩しすぎる外の世界と、反対の世界に居ることをまざまざと見せ付けられるような返事に、顔を顰める俺に気づく事なく女が太陽のような眩しい笑顔のままで話を続けた。
「ごめんなさい。あまり世間と言うものが分かってなくて。私の名前は
「沖田総悟でさァ」
「沖田総悟さんですか。良い名前ですね」
何度も俺の名前を口にして笑っている姿は屈託が無さ過ぎて白痴女のようにも見えた。

「向日葵畑の向こうに行ってみますか?」
こちらからの返事は聞く気もないらしく突然思いついたように俺の手を引いて、もう片手で日傘をくるくる回して楽しそうにどんどん歩いていく。ここで手を離してしまったらまるで向日葵畑に呑まれてしまいそうに感じた俺は手をひかれるがままに手を引かれたまま後ろについて歩いた。

「着きましたよ」
一面の黄色の世界から急に緑と青の世界が目の前に拓かれた。一面の緑の海と、雲ひとつ無い空色の下で が相変わらず眩しすぎるくらいの太陽のように笑っていた。
「地平線が見えるような場所、あったんですねィ」
江戸ではこんな景色が見られると思っても居なかった俺はぽつりと呟くと、さっきまで太陽のように笑っていた彼女の笑顔が一瞬曇った。その一瞬の表情に心が大きく揺れてざわめいた。

「戻りましょう」
そのまま俺の手を引いて急いで向日葵畑に戻っていく。急いでいるのに足取りは軽く日傘をくるくると回しているその後ろ姿を俺は慌てて追いかけた。四方が黄色に阻まれた中で日傘の端を捕まえて思いっきり引っ張ると手から柄が離れた。同時に強風が吹いて花びらと一緒に日傘が遥か上空にまで吹き飛ばされて行った。
「沖田さんは幸せですか?」
日傘が飛ばされた事なんて関係ないみたいな態度で眩しすぎる笑顔を向け、変な事を訊ねてくる。
もしかすると本当に白痴なんだろうか、怪訝な表情を浮かべる俺にお構い無しに「幸せだと思いますか?」と訊ねてくる。余りの奇妙さに「幸せですぜィ」と答えると「良かった」と返事を打ってくる。

「そう言うアンタはどうなんですかィ?」
「幸せだったのか不幸せだったのか、もう分からないんです」
奇妙な事を言う彼女の表情はものすごく悲しそうに笑っていた。すべての絶望を内包するかのような笑顔に訊ねたこちらまでが苦々しげな表情になってしまいそうな、例えるのであれば、その笑顔は全てを狂わせるような表情だった。
「お願いがあるんです」

向日葵畑から出て古寺に着くとすぐにが口を開いた。
「廃寺ですかィ?」
俺の言葉に彼女は笑って「廃寺ですね。かつて安堂寺と呼ばれていました」と相槌を打っていた。
「この場所を護ってはくれませんか?」
「向日葵畑を、ですかィ?」
俺の言葉に補足するように、話を続けていた。
「それでもですが、何もかもを、何もかもを護って欲しいんです」
その声はまるで絞り出すような懇願と同時に抗い難い誘惑の言葉のようにも聞こえるものであった。彼女の表情は真剣そのもので、その表情を歪ませてやりたいと脳裏に一瞬過ぎったものの、同時に心が大きくざわめいて「護りやすぜィ」と答えると、彼女が太陽のような笑顔をこちらに向けて目を細めた。
「ありがとうございます。私も力の限り護ると約束します」
の言葉と同時に風がざわめいて花びらが舞い散り、さっき投げ出された日傘が彼女の近くに落ちてきた。それを拾い上げて手渡すと「ありがとう」と彼女が言った。

「そろそろ、行かなくちゃ」
突然言ったその言葉にの顔をじっと見据えた。
「帰るんですかィ?」
俺の言葉に答えることなく、彼女はただ笑っていた。
…」
ぽつりと彼女の名前を呼ぶと反応するように彼女の手が俺の手に触れた。手のひらに大量の向日葵の花びらを乗せて俺の手のひらごとを包み込むように両手を添えてきた。
「沖田総悟さん、約束…」
「またここで逢えますかィ」
俺の言葉には眩しすぎる笑顔を向けたまま口を開いた。
「私はここにずっと居ます。きっとまたいつか逢えると思います」
その言葉と同時に大量の向日葵の花びらが舞って視界が一面の黄色に覆われた。その黄色があまりに眩しすぎて思わず目を閉じてしまった。

「総悟、目を覚ましたか?」
「あれ…」
目を開けるとそこは屯所の救護室で、近藤さんの顔が見えた。
「ゴリラ・・・ですやねィ・・・」
「おいおいゴリラじゃねえよ、頭でも強打してしまったか?」
「しっかりしてますぜィ。俺向日葵畑に居た筈じゃ…」
呟いた独り言にどうやら救護室に居たらしく土方サンが「夢でも見てたんじゃねえか?」と言ってきた。夢だとすれば自分の周りにあるいくつか黄色い花びらの説明はどうやって付ければ良いのだろうか。
「土方サンは彼岸花が見られると良いですねィ」
軽口を言って立ち上がると腕に激痛が走り、それに呼応するように腹部に激痛が走った。

「安静にしておけよ」
聞けば銃で腹部を撃たれた後斬りつけられた事を説明された。そういえば混乱した相手の首を狩る時に相手が乱射してその一発が腹部に当たったような気がしないでもない、と昨晩の出来事を思い出した。
だとしたらあの向日葵畑での出来事は何だったのだろうか。夢か幻か。それでもはっきりするのはあの のあの高く柔らかい声と眩しすぎるくらいのあの笑顔。
あれすらも幻だったのだろう。

『この場所を護ってはくれませんか?』
のあの声だけが耳の奥に残って何度も何度も繰り返していた。
「なあ、安堂寺って廃寺知ってますかィ」
俺の質問に怪訝そうな表情を二人は浮かべていた。
「ああ? 攘夷の残党が塒(ねぐら)にしていた廃寺の事か。寝てたお前がどうして知ってんだ」
土方サンの質問に俺は「さあ、寝てる俺の辺りで話をしてたんじゃねえんですかィ」と言えば近藤サンが「夢の中で聞いていたのかも知れないな」と笑っていた。
安堂寺という廃寺は間違いなくある。現実ではないような奇妙さ。夢だと割り切ろうともあの声が頭の中に響いた侭だった。

全快した俺は例の廃寺まで足を伸ばした。夢で見た寺よりもさらに荒れた廃寺が目の前にあった。その隣にあった向日葵畑など微塵もなく一面続く荒土のみであった。じっと荒れた景色を眺めていると強風が荒土を吹き抜けて行った。
『この場所を護ってはくれませんか?』
また頭の中に の声が聞こえてくる。彼女が何者なのか、は考えても答えが出ないが、約束は守らねばずっと病的なまでに頭の中であの声が聞こえてくる。
だから仕方ない、と自分に言い聞かせて全てを誤魔化した。

多分、 は、この世界には存在しない存在。
バカバカしいと思いながらも頭を振って思い直した。そうでないと説明がつかないのだ、と。

次行った時は、種でも蒔いてやりましょうかねィ。
心の中で呟いて踵を返した。帰り道に沖田は途中で柄にもなく手持ちの金でありったけの向日葵の種をタネを買った。それは明日、あの荒土に蒔き散らすだけの大量の向日葵の種。