偽装彼女
「悪ィ、頼むからこの通り!」
必死になって手を合わせ三顧の礼を繰り広げる副長を私は呆然と立ち尽くした。
頼むからこの通りと言われても何を頼まれるのかさっぱり分からない。
直感では「仕事の話ではない」と言うことだけである。仕事であるのなら副長は下手に出て頼みごとなんてしない。仕事の不始末のケリか、仕事外のことだと容易に受け取れる。
「あの、すみませんが仕事がありますので他をあたってください。仕事についてなら指示書を頂ければそれに沿って遂行いたしますので」
三十六計逃げるに如かず。なんとなくだけどそんな気がしてならなかったので、さっくり切り上げることにしてその場から背を向けた。
「じゃあ、任務だ」
私の腕をがっしり掴んで睨みをきかせた鬼の副長がそこに立っていた。
「さっきまでの態度はどこへ行ったんですかー!」
「うるせえ。が頼みごとを聞かねぇから任務になったんだろうが」
職権濫用は禁止されています。頼みごとから任務に摩り替わるのは職権濫用の他何でもありません、と声高らかに反論しても鬼と化した副長は聞く耳も持たない。
「何があったのか説明も無く、『やれお願いだ』だの『やれ命令だ』だので納得行きません!」
叫びながら渾身の力を込めて副長の手を振り払おうとしたがい純然たる力の差の前に空振りに終わり正面から向き合うことになった。あ、副長目逸らした…。
バツの悪い時にいっつもごまかそうとして取るポーズに少しばかりイライラが募ってくる。
「はっきりしてください」
私がそう言うと気を取り直したのか腹を括ったのかやっと副長は本題に入った。
「いや、その。見合い話を持ちかけられて将来を誓ったヤツがいると適当にシラを切りしたら連れて来い、という話になってな…」
目が泳ぎ始めてたまにこちらのほうに視線をよこしてくる。間違いなく狂言芝居に付き合わせる気だ。それは真選組としての仕事では無い。
「それはご自分で蒔いた種でしょう。仕事に公私混同なんて言語道断ですわ。ですので任務としての命令は拒否いたします」
きっぱり宣言をすると副長の口からタバコがぽとんと落ちたと同時に掴まれた手の力が弛緩するのでタイミングを逃すことなく手を振り払って私は踵を返した。数歩進むと重心が無理に後ろに持っていかれ慌てて重心を元に戻そうと私があがくと背中から重たいものがのしかかってくる。
「すまねえ、次からはきちんとするからよ。今回だけは助けてくれ…」
副長が珍しく殊勝な事を言っている。同時に肩にぽつんと水滴が落ちる。
「そんなことで涙するなんてひ・・・卑怯ですわよ! それで副長ですか。男ですか!」
「悪ぃ・・・なあ、頼む・・・」
抱きすくめられた形になって私は返事に戸惑う。他に頼めばいいじゃないと思いつつもきっと副長としてのプライドがあるんだろう(部下に頼み込むのもどうかと思うが)、部下になら貧乏くじを引かせてもいいとか。
まあ軽い気持ちでついた嘘に引っ込みがつかなくなるのは多々とは言わないがあるもので。
「仕方ないですね。任務ではありませんからね。あと報酬は毟り取りますから」
毟り取らないと溜まったものではない。
「ああ、焼肉でもふぐでもシュラスコでも、あんみつでも白玉でも」
「…全部ですわ」
「ああ、わかった」
「だったら泣くのはやめてください」
私が発した言葉に反応して副長の手が私の目の前にすっと出される。私は手に持っていたそれを見て震えた。
怒りで。
手にはばっちり目薬が握られている。しかも私の目薬だ。どこでくすねてきやがったこの男は!
「お前、案外引っかかりやすいな」
目の前でちろちろ振られる目薬に私の怒りのボルテージが一気に上がった。私の背中に相変わらずのしかかってる副長を背負い投げた。
「焼肉もふぐもシュラスコも甘いモンも、思いつく限りの食べ物屋に連れてってやるから、ひとつ頼むわ」
悪びれもせず断言した副長が倒れ込んだままタバコに火を付けた。こうなれば思いつく限りの食べ物屋に連れて行って貰おうじゃないですか。
「灰が目に入ったら痛くて涙が出ますわよ」
気持ちよく背負い投げが決まってすかっとした私は副長に手を差し伸べる。副長は黙って私の手を握って起き上がる。
「婚約者のフリ、頼むぜ」
副長、本日は屯所に戻ったら直ぐにでも食べに行きたいお店リストでも作ろうかと思います。